「来てくれてありがとう」月に1度の広場で親子に寄り添う、移動児童館の20年【後編】

西宮市では、子育て支援事業のひとつとして、児童館や子育て支援施設のない地域の公民館などで定期的に活動する「移動児童館」が実施されています。

2004年のスタート以来、「お友だちがほしい」「おおぜいの子供と遊びたい」「おしゃべりがしたい」「安全で安心して遊べる場所を探している」など、友だちづくりや、情報交換の場として、子育ての不安やストレス解消を求めて、多くの親子が集っています。

市内複数の児童館で勤務した後、現在は移動児童館で主任を務める松岡笑先生に、これまでの歴史や活動の様子、ご自身の経験に基づいて考える子育て支援の必要性など、移動児童館の今とこれからについてお話を伺いました。

インタビュー前編を読む

西宮市子育て総合センター 移動児童館 主任児童厚生員 松岡笑先生

――松岡先生のご経歴を教えていただけますか。

私は生まれも育ちも西宮の「宮っ子」です。大学で中高の保健体育の教員免許を取得しましたが、学校体育より社会体育が好きだったので、卒業してすぐは西宮市総合福祉センターに勤務しました。プールやトレーニング室などがあり、障害のある人の健康づくり生きがいづくりを支援する施設です。

そこで働く中で、親子の体操の補助やスイミング教室のサポートをする機会があり、学生の頃から何となく興味のあった子供と関わる仕事について考えるようになりました。

そんな頃に、たまたま児童館職員の募集があったんです。
試験を受けて合格して、2005 年から児童館で働き始めました。

最初は大社児童センター、次は高須児童センター、その次は浜脇児童館、そしてむつみ児童館。もう 20 年が経っていますね。

間に産休と育休も 2 回取得しました。
移動児童館に配属されたのは、むつみ児童館で勤めたあとの 2018 年 4 月です。

むつみ児童館に勤めていた松岡先生(2018年)

――複数の児童館を経験して、移動児童館へ移られたのですね。辞令が出たとき、これまでの児童館から児童館への異動と比べて、心境の変化はありましたか。

私が異動したときには「どんどん広場」も終わっていたので、小学生との関わりがなくなるのはさみしいな、と思いました。

それ以外は大きく変わらないかもと思っていましたが、いざ働き始めると、月1回だけの勝負のような感覚を持つようになりました。

児童館は平日毎日開いているので、いつでも行けるという敷居の低さが良いところ。
一方で移動児童館は、月 1 回だけそこで開催される広場をわざわざ探して、選んで、足を運んでくださっているわけです。

児童館も移動児童館も、「お母さんお父さん、小さな子供を外に連れ出して頑張って来てくれたね、すごい!」という気持ちは同じです。
でも移動児童館では、「わざわざ選んで足を運んでくれてありがとう」という気持ちが強くありますね。

――私も市内の児童館や移動児童館を利用する親子の一人ですが、移動児童館では、先生のその気持ちはすごく伝わってきます。移動児童館では、先生たちとの距離をより近く感じるんです。

そう言っていただけると嬉しいです。
「せっかく来てもらったのだから、次も来たい って思って欲しい!」という気持ちが、全面に出ちゃっているかもしれません。

適度な距離感が心地良い方もいたり、様々な思いで来られていると思うので、全員とゆっくり喋るのは難しくても、絶対に1回はお話ししようと心がけています。
1 時間半なので難しいこともあるのですが、体操の時などに目線は全員に配っています。

――月に 1 回だけなのに、こちらのことをよく覚えてくださるのでびっくりします。松岡先生だけでなく、どの先生もみなさんそうですね。親子の間に自然に入って来てくださいます。

ありがとうございます。

特別なことはしていませんが、事務所に戻ったあと、「今日〇〇ちゃんって、何々していましたね」「〇〇ちゃんってどの子?」とその日の様子を振り返り、記録写真を見ながら「ああ、この子が〇〇ちゃんね」と話しています。

スタッフひとりが覚えていることを、自然とみんなで共有できているのかもしれません。

1時間半ずっと同じ子供を見ていることは難しいけれど、「いま傍に行った方がいいな」というタイミングは、みんなでアンテナを張って気にかけています。

初めて来てくれたお母さんが、グループができていて入りづらいと感じないように私たちが気を付けたいし、ずっと来てくださっているお母さんも大事にしたい。

自分の育休期間中に児童館へ行った経験が、そのベースになっているように思います。

――お子さんを連れて、児童館や移動児童館に行かれたのですか?

そうです。

利用者さんの立場だと見えるものが違うかもしれないといろんな場所へ行きました。

児童館の利用方法や座る場所などを全部わかっている私でも、「誰かここに来て私に話しかけてください!」という切実な気持ちを味わいました。
結束力の強い学年のお母さんが集っている児童館では、「私はこの児童館には溶け込めないかもしれない」と思うこともありましたね。

結束力が強いこと自体は、いいことです。だからこそ、スタッフが良いタイミングを見計らって声掛けをすることが、大切になるんですよね。

私が移動児童館に配属された時の主任の先生が、私の育休当時におられた児童館で、まさにその声かけを自然としてくれました。

声をかけて貰えると本当に嬉しくて、サポートでこんなにも居心地が変わるのかとびっくりしました。

その気持ちを忘れないようにしたいし、これまで移動児童館で働いていた先生たちも私たちも、「1 回来てもらったあと、もう 1 回来てもらえる、次も行きたいなって思ってもらえるような時間にしようね」という思いで臨んでいます。

――松岡先生が移動児童館に配属されたあとは、新型コロナウイルスの感染拡大という大きな社会現象もありました。当時の移動児童館について教えてください。

移動児童館は、西宮市の児童館の中でも 1 番早く再開しました。イベントは中止という風潮や規制がありましたが、親子の居場所として開けました。

消毒用のペーパーなどを常に持ち歩き、必ず「抱っこしてもいい?」と確認してからお子さんに手を差し伸べるようにはしていましたが、やっぱり「来てくれてありがとう」という気持ちが強くて、コロナ禍でも距離が近かったかもしれません。}

お母さんから「普通にしてもらえて嬉しかった」と声をかけてもらったことを、よく覚えています。

コロナ禍の移動児童館の様子

――コロナ流行によって少子化が加速するなど、社会的な影響は色濃くありましたが、松岡先生ご自身も違いを体感されることはありますか。

他の親子がどう過ごしているのかを知らないお母さんお父さんが増えたような気はします。

割と大きいお子さんを連れているけれど、「初めてこういうところに来ました」とおっしゃる方が多くなったのは、やっぱりコロナの影響でしょうね。

寝ている赤ちゃんの隣におもちゃを置いて、それをじっと見ているだけお母さんがいたので、「遊ばせてみる? 持てるかどうかやってみようか」と声を掛けて、「わあ、持てたね。上手に持ててるやん!」と言ったら、「そういうふうにすればいいんですね」と、びっくりされた風だったり。

胸の位置でつけるべき抱っこ紐がすごく下になっているお母さんを手伝ったら、「知りませんでした」って言われたり。

コロナ禍では、妊娠時の両親学級などのサポートが閉鎖して、出産時には面会や立ち合いも禁止だから一人で生んで、生まれたあとも講座が全部オンラインになって……、それは孤独ですよね。

移動児童館に来られた方は、何か情報をキャッチしたい、何か子供のためになることをしたいという思いで足を運んでくださっていることを、ひしひしと感じました。

来てもらえないと伝えられないことも多いので、手の届かないところにいる方がどうしているのか、どう広報していけば私たちはそういった方に寄り添えるのか、今も毎年の課題です。

――20年間児童館でお勤めされてきた中で、親子の方々に向き合うご自身の気持ちにも変化はありましたか。

働き始めた最初の頃とは、全く違います。特に出産してからは、生むだけでも大変なのに、自分のためじゃなく「この子のためにこうしたい」と考えるお母さんたちのすごさがよくわかるようになりました。

「お母さん、よくぞ外に出て来てくれました!」と思っています。

若い頃は彼女たちと同世代だったので変な緊張をすることもありましたが、今はもう親戚のおばちゃんの気分ですね。月に1回来てもらうたびに、「おかえりなさい」という気持ち。

これは、今後移動児童館を離れて児童館に戻ったときにも、大切にしたい感覚ですね。

「お母さんには言いづらいことも、おばちゃんになら話せるかな」と思ってもらえるような立ち位置でいたいです。

お母さんお父さんの心の健全さは子供に必ず伝わるので、私たちはいつでも帰って来れるような、温かな居場所でありたいなと思います。